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新しい視点で地域社会の発展に寄与する Marugame gokoku shrine service association

丸 亀 護 国 神 社

 

丸亀護国神社(讃岐宮丸亀別宮)
 讃岐宮丸亀別宮の発端は明治十年奉杞の聯隊招魂社である。七年広島鎮台丸亀営所新設高松屯所合併、八年黒木聯隊長着任九月九曰軍旗拝受、十年三月西南役に出動、十月に帰還したが、この時英霊一五一柱を奉祀したのがこの招魂社である。墓地は聖通寺に設けられその後、駒ケ林に移された。
 次で明治十八年旅団設置、翌年松山聯隊の創設、二十七、八年日清の役出動、三十一年乃木師団長着任、この年以後毎年師団招魂祭が行なわれ神霊は師団偕行社に奉安されたが、この頃に丸亀連隊忠魂社が営まれた。この忠魂社は前の招魂社の神霊うけつぎ県内外の諸英霊を奉祀しその後は徴募区の関係により県歩十二関係と一部県外将校等の英霊が奉祀せられている。
 さて香川県護国神社は県民の総意により昭和十六年創建せられ御神霊は偕行社奉安の師団英霊の外、靖国神社の県関係御分霊が整理奉祀された。同宮第一座小橋友之輔第二座日柳燕石等の神霊奉杞はこの時と拝察する。かくして、護国神社は主として県下諸英霊を祭る県社として、又忠魂社は護国神社元宮の歴史的意義を持つ丸亀聯隊神社として特に深い関係を生じ、毎月十五日忠魂社と墓地巡拝はその後同宮の行事となっている。
 しかも戦後は以下述べる深刻な経緯により本宮と分社の関係が一層明確に結ばれた。即ち、戦後占領軍は全国護国神社の取り潰しを企て、時の官司は神霊護持に心血を注ぎ結局本県では讃岐宮の社名で護持を完うした。ところが占領軍は一県一社を認め忠魂社を取り潰そうとしたので宮司と市民有志は全く驚いた。即ち時の市長及旧聯隊長老等数十名は宮司に相計り、忠魂社を讃岐宮別宮として永久奉祀を申出で、宮司は献身護持を誓い自ら進駐軍に出頭し.本宮を認め分社たる別宮取潰しの不合理を再三解明し辛じて事なきを得た。
 今は旧聯隊出身者の重陽会において、毎年九月九日総会の行事として本宮々司による別宮祭典を主催し盛大にこれを執行しているのは正に当然のことながら.県民として感謝に堪えない。最近別宮の認識に混乱があるので以上謹述した次第である。

月例祭祀


大注連縄作成
                                                   

アクセス


 丸亀護国神社社殿(H29.9撮影)


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